家を解体する都市

「現実に今日、ファミリーレストランは住宅内のダイニングルーム以上に家族団欒を意識させる場であるかもしれず、デパートの惣菜コーナーや近隣の二十四時間のファミリーマーケットは住居内のキッチンや冷蔵庫以上にキッチンや冷蔵庫の役割を果たしているかもしれないのである。くつろぎ楽しむ空間も、家事の機能もすべては都市内のコマーシャルな空間の消費、そして終いにわれわれの暮らしの最後の砦と考えられていた家そのものまでもいまや消費し尽くしてしまいかねない凄まじさに因るのかもしれない。」 ( 伊東 2000:26)

「家の消費、家の解体を推進する最大の立役者は都市で一人暮らしを営む女性たちである。彼女たちは慣習的な家から解放され、最もラディカルに、かつ最も軽薄に都市空間に身を委ね、都市生活を享楽しているように見える。彼女たちにとって映画館や劇場やバーはリビングルームであり、レストランはダイニングルームであり、トレーニングジムのプールやサウナは豪奢な庭園やバスルームである。ブティックはワードローブであり、コインランドリーは彼女たちの洗濯機である。彼女たちにとっては都市空間の総体が棲みかである。彼女たちの行動の軌跡を結ぶ空間そのものが家であると言うことすらできよう。」( 伊東 2000:28)

「都市空間での生活体験は日々断片化され、擬似的、刹那的になりつつある。われわれはテンポラリーでフィクショナルな都市の空間と、機能が流出してイメージの遺構と化したこれまたフィクショナルな住空間との往復運動を強いられている。その生活には表層的な豊かさや華やかさと空虚感が絶えず表裏一体をなしている。」 ( 伊東 2000:29)

伊東 豊雄 2000 『透層する建築』,青土社