家の記憶、二重の時間性

「このような意味で家はまさに多様な時間の結果である。家そのものが記憶である。それは私だけでなく、私の祖先たちの痕跡であり、さらに、家族をこえて家をつぎつぎに進化させてきた人類の時間の痕跡が重なっている。厳密にいえば、さきに区別したように家の記憶のなかにも人類学的時間に属する歴史と家族に属する歴史とを区別しなければならないだろう。いずれにしろ記憶ということばを用いるのは、現在を過去との関係で問いなおすことを意味している。そしてこの関係は家を多重に織られたテキストに変えていくのである。」(多木 2001:210-211)

「このような時間の象徴はきわめて装飾的であったから、近代デザインとともに完全に追放された。近代デザインは家族の歴史を追放したというより、むしろそのあらわし方、記憶の形態を払拭したのである。しかしもう一方で近代デザインは、人類学的時間の多元性を、過去を切りはなすことで一元化しようとした。現在が現在であるためには、過去の様式から解放されねばならない。既存の文脈を尊重し、その上に接木のように現在を構成するやり方が、実際には全体の新しい再構造化であることを認めずゼロから始めることを主張した。この両方によって、家が記憶を保持し、その二重の時間性に人びとをあずからせることによって、住むことの意味をあたえることはなくなった。そのようにデザインされた住宅を、私はすべてモダニズムと考える。」(多木 2001:213-214)

近代住宅が家族の記憶、人類学的時間を払拭しようとしているなら、 近代家族を構成する個々の身体も同時に祖先たちの歴史から解放されなければならなくなる。

多木 浩二 2001 『生きられた家』,岩波書店・文庫版