近代住居

「最小限住居の探求は、すなわち住居の本質をめぐる問いそのものであり、(…)何を本質的あるいは合理的と見なすか、すなわち、何を無駄あるいは非合理と見なすかは、その対象を把握しようとする主体の仮説ないしは思想に左右される。」 (祐成 2008:4-5)

核家族のための専用住宅を、純化された住居として理解するのが近代の常識である。つまり建築学の概念としての「最小限住居」とは、最小限の専用住居のことである。(…)このように、住宅は、近代の成立と関係の深い歴史的な概念である。そのことは、「イエ」ということばが、家族・親族、祖先、家業、家内労働者、建造物などを含んでいたことを考えれば、より明確になる。」 (祐成 2008:5)

柳田国男『明治大正史 世相篇』「家永続の願い」で、45枚の位牌だけを背負った95歳の老人が保護された新聞記事が紹介されており、「住居とは生者のみならず死者とともに過ごす空間でもありうる」 (祐成 2008:5) し、「この老人にとっては、位牌は極限まで切り縮められたイエだったといえよう」(祐成 2008:6)

「現代の私たちはこの老人を「ホームレス」(家をもたぬ人)と呼ぶことに何のためらいも感じない。しかし、彼は文字通りイエという名の住居を背負いながらさまよっていたのではないか。(…)だとすればイエの系譜から切り離された住宅に住む人々またかたちを変えたホームレスと見ることもできるかもしれない。」 (祐成 2008:5-6) 

 

祐成 保志 2008 『〈住宅〉の歴史社会学――日常生活をめぐる啓蒙・動員・産業化』,新曜社