「家庭」の理想

家庭という語の特殊性を明らかにした

「アンケート調査の回答は単身生活者が「家庭」を経営しているとは認めない。夫婦だけで子どもがいない場合、アンケート調査は「家庭」が成立するかどうかの境界にあることを示す。片親であると「母子家庭」「父子家庭」あるいは「欠損家庭」という差別的な呼称を与える。再生産を終えて子どもたちが独立すると「老人家庭」と呼ぶ。つまり「家庭」の形成には夫婦と子どもの揃った家族であることが要求される。「夫が家庭をかえりみない」といわれるのと妻が同じ表現で非難される場合とでは指す内容が違うことからわかるように、性別役割分担のある空間である。」(西川 1995:219)

「「家庭」はしばしば「幸福な」「楽しい」「良い」「健全な」といったほめことば的な連体修飾語とともに使われる。つまり、あるべき「家庭」のイメージは強く、「家庭」の果たすべき役割がある。「家庭」はこのように規範性の強いことばなのである。「茶の間のある家」の「茶の間」と、「リビングのある家」の「リビング」は「健全な家庭の楽しい団欒」を空間に表現しようとする設計であった。」(西川 1995:219)

このすべての前提にあるのは家族を構成する人員がすべて健康であることだ。家庭の成立には夫婦と子どもが欠かせないように、彼らにも身体と精神の両方が健全であることが求められる。だからこそ、家族のだれかが病や障害をかかえたとき…

西川 祐子 1995 「日本型近代家族と住いの変遷」 ,西川 長夫 他 編 『幕末・明治期の国民国家形成と文化変容』:191-230,新曜社 

最低居住面積水準

「1989年に施行された創設時の知的障がい者グループホームの入居者数は4~5人が標準とされ、最大でも7人定員であった。これが「障害者総合支援法」(06年)において10人以下に拡大され、さらにただし書きの中で、20人(都道府県知事が特に必要と認めるときは30人)以下という緩和規定まで付記された。当初から懸念されていたミニ施設化が成文化されたわけである。」( 鈴木 2016:101)

出どころはわからないが、定員数が5人を超えるグループホームの割合が急増しているデータが掲載されている。制度で認められたのだから増えるのは当然だとしても、集団ケアを行う施設の新設を認めないとしながら、他方でグループホームの定員数を増やしていくことは明らかに矛盾している。

住宅性能・居住環境・居住面積についての水準向上を目指す住生活基本計画だが、

「当事者の望む住生活環境で暮らすということ、安全性はもちろん、「健康で文化的な住生活の基礎として必要不可欠」と規定される最低居住水準(すべての世帯の達成をめざすとされている)は単身の場合20㎡、「豊かな住生活の実現を前提」とした誘導居住水準は単身で40㎡(都市居住型)とされているのに対して、グループホームにおける居室の設置基準は制度の創設当初と同様に7.43㎡(約4畳半)のままである。ここでもまだ、グループホームは「住まい」とは見られていない。」( 鈴木 2016:102)

国土交通省のホームページから住生活基本計画(平成28年)がダウンロードできるが、その別紙4に最低居住水準面積が示されている。その面積(住戸専用面積・壁芯)は単身者の場合25㎡とある。平成18年策定当初から25㎡であるから、上の20㎡は誤りだと思われる。だが、重要な指摘である。

「もちろん居住面積水準だけではなく、住宅設備水準についても同様で、個別のトイレ・洗面や、まして台所などは求められておらず、わが国においてこれが装備されているのはごく一部のみである。ADL(日常生活動作)の低下した場合でも、家族や知人を(面会室などではなく)自宅に迎え、飲食などを共にすることは普通の生活であり、一成人としてこのような社会的関係性を維持しながら暮らせるためには、少なくとも必要不可欠の住居水準が目標であろう。」( 鈴木 2016:102)

たしかに最低居住面積水準において緩和は認められており、共用化された機能・設備(キッチン、浴室など)に相当する面積を減じてよいとする内容である。ただし、個室には専用のミニキッチン、トイレ及び洗面が確保されることを前提としている。

 

(参考)

住生活基本計画の最低居住面積水準・誘導居住面積基準について、次の場合は記載の面積によらないとされる。①単身の学生、単身赴任者などであって比較的短期間の居住を前提とした面積が確保されている場合、②適切な規模の教養の台所及び浴室があり、各個室に専用のミニキッチン、水洗便所及び洗面所が確保され、上記の面積から共用化した機能・設備に相当する面積を減じた面積が個室部分で確保されている場合、③既存住宅を活用する場合などで、地域における住宅事情を勘案して地方公共団体が住生活基本計画等に定める面積が確保されている場合、の三つである。

 

鈴木 義弘 2016 「障がい者居住の貧困」,日本住宅会議 編『 深化する住宅の危機――住宅白書2014-2016』:99-103,ドメス出版

住生活基本法

下記、国土交通省HPに住宅の主な施策が掲載されている。

http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/index.html

その中に住生活基本法がある。

http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk2_000011.html

 

住生活基本法の基本理念には、住生活の基盤である良質な住宅の供給、良好な居住環境の形成、居住のために住宅を購入するもの等の利益の擁護・増進、居住の安定の確保が謳われている。しかし、これ以上に重要な点は①政策対象を「住宅」から「住生活」に拡大したこと ②国・地方行政のための「計画法」から、事業者、居住者の責務をも含む住宅や居住のあり方を示す「基本法」としたこと ③政策手段を、さまざまな担い手が共有する努力目標となる「市場重視」としたこと ④政策主体を地方行政、地方業界、地方組織等にシフトしたこと であり、今後の住宅政策の枠組みを提示したことであろう。」(日本住宅会議編:40-41)

 

「住生活基本計画はこうした法の基本理念を具体化し、住生活安定向上施策を総合的かつ計画的に推進していくための計画である。ここには「住生活」の安定の確保と豊かな「住生活」の実現が謳われ、住宅は社会的性格を有する生活の基盤で、社会生活や地域コミュニティ活動を支える拠点として位置づけられた。計画は、中長期的ビジョンを示すべく10年間を計画期間とし、「ストック重視」「市場重視」「関連分野との連携」「地域性への対応」を横断的視点としてとりあげている。」(日本住宅会議編:41)

 

「住生活基本計画のポイントは次の政策手法の転換の諸点であろう。①基本的施策の実践、実行プログラムが重要で、とくに、民間事業者・地域の事業組織・NPO・住民等の事業推進のための共有プログラムとして計画すること。 ②「豊かな住生活」は国民の自己選択、自己責任によって実現し、これを支える市場環境整備と事業者の自律的取り組みを促す計画的プログラムとすること。 ③住宅における格差是正は、さまざまな公正な選択性を確保することで、市場基盤整備が主たる取り組みとなる。そのうえで、市場で対応できない者に対するセーフティネットの確立が必要である。 ⑤計画の説明責任を果たしつつ機動的に見直していくため、成果指標(数値目標)の設定と達成状況の評価を行うこと。このため、成果指標の設定(計画)と施策・事業の実施と達成状況の評価のPDCAサイクルが重要である。」(日本住宅会議編:41-42)

 

日本住宅会議 編 2016  『 深化する住宅の危機――住宅白書2014-2016 』 ,ドメス出版

 

家を解体する都市

「現実に今日、ファミリーレストランは住宅内のダイニングルーム以上に家族団欒を意識させる場であるかもしれず、デパートの惣菜コーナーや近隣の二十四時間のファミリーマーケットは住居内のキッチンや冷蔵庫以上にキッチンや冷蔵庫の役割を果たしているかもしれないのである。くつろぎ楽しむ空間も、家事の機能もすべては都市内のコマーシャルな空間の消費、そして終いにわれわれの暮らしの最後の砦と考えられていた家そのものまでもいまや消費し尽くしてしまいかねない凄まじさに因るのかもしれない。」 ( 伊東 2000:26)

「家の消費、家の解体を推進する最大の立役者は都市で一人暮らしを営む女性たちである。彼女たちは慣習的な家から解放され、最もラディカルに、かつ最も軽薄に都市空間に身を委ね、都市生活を享楽しているように見える。彼女たちにとって映画館や劇場やバーはリビングルームであり、レストランはダイニングルームであり、トレーニングジムのプールやサウナは豪奢な庭園やバスルームである。ブティックはワードローブであり、コインランドリーは彼女たちの洗濯機である。彼女たちにとっては都市空間の総体が棲みかである。彼女たちの行動の軌跡を結ぶ空間そのものが家であると言うことすらできよう。」( 伊東 2000:28)

「都市空間での生活体験は日々断片化され、擬似的、刹那的になりつつある。われわれはテンポラリーでフィクショナルな都市の空間と、機能が流出してイメージの遺構と化したこれまたフィクショナルな住空間との往復運動を強いられている。その生活には表層的な豊かさや華やかさと空虚感が絶えず表裏一体をなしている。」 ( 伊東 2000:29)

伊東 豊雄 2000 『透層する建築』,青土社

参考文献

A

天野 正子 他 2007 『モノと子どもの戦後史』,吉川弘文館

B
C
D
E
F
G
H
I

伊東 豊雄 2000 『透層する建築』,青土社


J
K

国土交通省住宅局住宅政策課 監修 住宅法令研究会 編 2006 『逐条解説 住生活基本法』,株式会社ぎょうせい
黒沢 隆 1997 『個室群住居――崩壊する近代家族と建築的課題』,住まいの図書館出版局

L
M

三浦 研 2008 「ケアのための空間」 ,上野 千鶴子 他 編 『ケア その思想と実践6 ケアを実践するしかけ』:219-238,岩波書店
N

日本住宅会議 編 2016  『 深化する住宅の危機――住宅白書2014-2016 』 ,ドメス出版

西川 祐子 1995 「日本型近代家族と住いの変遷」 ,西川 長夫 他 編 『幕末・明治期の国民国家形成と文化変容』:191-230,新曜社 


O
P
Q
R
S
沢田 知子 1995 『ユカ坐・イス坐』,住まいの図書館出版局 

祐成 保志 2008 『〈住宅〉の歴史社会学――日常生活をめぐる啓蒙・動員・産業化』,新曜社

住田 昌二 2015 『現代日本ハウジング史――1914~2006』,ミネルヴァ書房

T
多木 浩二 2001 『生きられた家』,岩波書店・文庫版

U
V
W
X
Y

山田 明 2013 『通史 日本の障害者――明治・大正・昭和』 ,岩波書店

山本 理奈 2014 『マイホーム神話の生成と臨界――住宅社会学の試み』 ,岩波書店


Z

ユニバーサル・スペイス

「 丹下は日本の建築的伝統を「空間の無限定性」であると宣言する。西欧の建築では、部屋を用途で呼ぶ。たとえば「寝室」とか「居間」とかいう。日本では「六畳の間」とか「八畳の間」とか、広さで呼んで用途では呼ばない。また、日本の部屋は襖のような可動の壁で仕切られて、広さも一定ではなく、時と場合で自在の広さで使える。つまり、部屋=空間の機能とが、互いに限定し合わない、「空間の無限定性」とはこういう意味である。これは概念上ユニバーサル・スペイスとまったく同じものといえる。」( 黒沢 1997:33)

丹下はミース・ファン・デァ・ローエの掲げたユニバーサル・スペイスの思想を受け、日本にはすでに似た空間様式があることを発見する。ユニバーサル・スペイスは、すべての機能を満たす空間のことである。 つまり、どんな空間にもなり得る一室空間である。 丹下は彼の思想をブラッシュアップし、自邸でそれを実現する。 その自邸はまた住み続ける中で手を加えられ、結局は近代家族の典型プランLR+ΣBRに落ち着いてしまう。

黒沢 隆 1997 『個室群住居ーー崩壊する近代家族と建築的課題』,住まいの図書館出版局

家族から個人へ

「近代住居がそうであったように、現代住居も現代家族以外を軸として成立しないのだがーー、しかし現代では「家族」は名も実もない。あるものは個人だけである、あるいは社会全体が家族であり、その構成単位が個人である。そしてその住居を考えれば、この構成単位がそのまま住居単位となる以外はない。それは一人の個人によって占められる住居単位である、そのような個人単位の空間は、一般に「個室」と呼ばれる。それは寝室や居間などの機能単位の部屋ではなく、一人の人間が一日の生活を営める場である。そして男も女もそれぞれの個室に住む、また子供も専用の個室をもつ、とりたてて居間がある必要はない。その機能はコミュニティによって担われる。」( 黒沢 1997:24)

「そしてこの住居の一般解は、「Σ個室」あるいは「ΣIR」であって、その住様式は「個室群住居」とよばれる。それはあたかも独身寮やアパートであって、いうまでもなく、独立家屋で建てられることを自己矛盾とする。どこまでが一軒かということに意味がないのだ。そして最初の「個室群住居」は、普通のアパートが「個室群住居」として住まわれることに始まる。アパートをひとりで一部屋借りている夫妻は、いまではもの珍しいことではない。もちろん、それが立派な「個室群住居」であることはいうまでもないが、他方、独立家屋においても、夫婦の寝室が分離されおのおのが個室化した例は聞くようになった。」 ( 黒沢 1997:24‐25)

黒沢[1997]は、社会と個人が直接つながる現代であるから、家族を単位とした独立家屋でなく、個人を単位とした個室群住居がふさわしいとする。

 

黒沢 隆 1997 『個室群住居ーー崩壊する近代家族と建築的課題』,住まいの図書館出版局